ケンティンのホテル・グロリアマナーにゆかりのある蒋介石について調べてみた

日本のお隣にある台湾。

戦後、その台湾を日本の代わりに統治したのが蒋介石ですが、彼は曲直正邪に様々に言われ、そして地理的にも人生の道でも色々な所を歩んできた人物です。

私が子連れで行ったケンティンのホテル・グロリアマナーにゆかりのある蒋介石。「孫文の後継者」や「毛沢東のライバル」とも称された蒋介石。

どんな人物だったのか?それが気になり調べてみました。

蒋介石の子供の時代

蒋介石は1887年、商人の父である蒋肇聡と母である王采玉の間に生まれました。

家は裕福だったそうですが、彼が9歳の時に父の蒋肇聡が亡くなり、その後は母子家庭で育つ事になりました。

当時の中国は女性の立場が非常に低くかったのですが、母の王采玉は稼業を女手一つで支え、そして蒋介石とその兄弟も育て上げたそうです。

王采玉は教育熱心な面があり、蒋介石は幼い頃から家庭教師や私塾に通う事になり、そこで中国の古典や兵法などを学びました。

志の高き学生時代

どうやら、王采玉の教育熱心な所と蒋介石の勤勉な性格の相性は良かったらしく、蒋介石は中国内の教育のみならず、英語や数学、西洋法律などまで学び、ついには海の向こうの日本にまで留学をしに向かいました。

ですが、いざ東京の東京振武学校へ到着してみると、その学校へは保定陸軍速成学堂の関係者しか入学が出来ない事を知り、彼は帰国する事になったのです。

しかし、そんな事で蒋介石は諦めませんでした。
彼は帰国後、直ぐに保定陸軍軍官学校に入り、東京振武学校への入学の条件を満たすと、再度日本へ渡って東京振武学校に入学したのです!

その学生時代、蒋介石が指導者としての道を歩みだす契機となった人物に出会います。
後に、中国で国の父と呼ばれる事になる孫文の率いる、中国同盟会の一員である陳其美です。

蒋介石はその陳其美を通し孫文と出会い、この後に迫る激動の時代へと進む事になりました。

ホテル・グロリアマナーにある蒋介石の絵

青年時代の出来事

蒋介石は東京振武学校を卒業後、日本の陸軍に勤務し将校として軍事教育を学びました。
その後、中国で辛亥革命が勃発し、彼は帰国し革命へと身を投じる事になります。
それを皮切りに、蒋介石は孫文や陳其美と共に様々な地へ赴き奔走する事になりました。

そんな最中の1921年6月、蒋介石に悲報が届きます。

彼が革命軍を指揮し中国の各地で活動を行っていた最中に、敬愛する母の王采玉が亡くなったのです。

彼は悲しみに暮れながらも母を手厚く弔い、その母の生地に武嶺小学校を建てました。
そして、生涯、自身の誕生日である朝は食事を摂る事を止めたそうです。

小学校の建設は母の施してくれた教育への感謝、生涯誕生日の朝食を止めた事は、自身を産んでくれた母の産みの苦しみをしのぶ為だと蒋介石は語っています。

激動の大戦時代

母を亡くした数年後、蒋介石は広州の黄埔軍官学校の校長へと就任し、その翌年には孫文がガンで亡くなりました。
彼はその孫文の後継者となり、様々な歴史的な出来事に関わっていきます。

南京事件を経て満州事変が起こり、ついには世界を巻き込む第二次世界大戦が勃発し、それが終わると蒋介石は連合国での中国を代表する指導者にまで昇り詰めました。

そんな波瀾に満ちた時代の最中、蒋介石は一人の女性と恋をします!

その女性とは、宋美齢です。

宋美齢は中国でも上流階級の生まれで、アメリカへの留学経験もある才女だったそうです。
そんな彼女と蒋介石は7年の交際期間を経て結婚し、その後、宋美齢は長きに渡り蒋介石を支えました。

この世界全体が揺れ動いていた時、蒋介石はその宋美齢の助けを借り、当時の米国と親交を深める事が出来たのです。

大戦も終わり、国内の平定へと目を向けた蒋介石でしたが、そこに国共内戦が起きてしまいます。
その内戦の結果、蒋介石は毛沢東の率いる共産党に負けて大陸を追われて脱出し、家族と共に台湾へと渡る事になります。

台湾へ渡って何を行ったのか

本土で一度、中華民国の初代総統に就任した蒋介石ですが、内戦で負けて台湾に渡った後に、先に台湾へと来ていた国民党軍を纏め上げ、再度、総統に就任します。

その後、蒋介石は台湾で独裁的な軍事政権を敷き、島民を弾圧し、そしてアメリカなどと連携し、中国本土への侵攻を画策しました。

その一方で台湾の工業力を引き上げ、台湾における近代経済に通ずる礎も作り上げました。

そして大陸支配と帰還を思いながら、蒋介石は1975年に亡くなります。

その後、台湾は民主化が進み、現在へと至るわけです。

良し悪しは有りますが、蒋介石が台湾へ与えた影響は大きく、今でも記念館や銅像が飾られている場所があります。

彼の死後、残された遺言に従い、彼の眠る棺は地面に埋められる事無く、大陸に正式に埋葬出来る事になったら正式に埋葬するため、現在でも浮葬という形で棺を地面から浮かせた状態で安置されているのだそうです。

蒋介石とは、どんな人物だったのか?

蒋介石の歩んできた人生は、母と家族や仲間を大切にした明るい側面もありますが、統治の際の弾圧や事変などの暗い部分も多くあり、彼の評価は人や国によって様々に変わる様です。

日本の立場から見るエピソードとしては、蒋介石は大戦中に日本を相手取って戦いましたが、日本の敗戦が濃厚になった頃、米国と会談した際に沖縄などの統治も任せると言われたそうですが、彼はそれを断ったそうです。

そして戦後、日本が米国とソ連で分断統治する話が上がった際には、それに断固反対したとの話が残っています。

宋美齢との結婚の際には、実現はしませんでしたが、日本で挙式を挙げたいとまで考えていたそうです。

大戦後の台湾は無政府状態に近く、もし蒋介石と国民党軍が渡ってくる事無く大陸おの方で没していたら、今とは真逆の状態になっていたのかもしれませんね。

ホテル・グロリアマナーについて

ケンティンにあるホテル・グロリアマナーでは蒋介石の写真や当時の再現したテーブル、ベットなどが飾られています。ぜひ行って蒋介石を感じてみてください!