文久元年って西暦何年?文久時代も紹介

文久元年イメージ




文久元年に創業にした京都の抹茶問屋北川半兵衛。京都の抹茶大好きな私が北川半兵衛に出会い、文久元年っていつなの?と思った私が、文久元年ってどんな時代かを調べてみました!

幕末を取り扱った時代劇やドキュメンタリーの番組などで「文久(ぶんきゅう)」という元号を耳にした事は多いと思います。

江戸時代には35もの元号があり、文久は最後から数えて3番目の元号に当たります。
今回は、そんな数多くある江戸時代の元号の中で、幕末という激動の時代、その嵐の前の静けさを感じさせる元号である「文久」の事をお話しましょう。




文久元年は1861年

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万延2年の2月19日、西暦では1861年の3月29日に日本の元号は文久へと改元されました。
そして文久4年の2月20日、西暦1864年の3月27日まで使われました。

当時の元号の改元は、何か大きな災害や出来事、または「讖緯(しんい)」と言われる古代中国に伝わる予言の様な物に従って改元を行っていました。

この時の文久元年である1861年という年は、讖緯の中で「辛酉革命」とされ、政治的に変革が起こる年とされており、それを防ぐために文久へと改元を行ったのです。

文久元年に誕生した画家

文久元年に誕生した画家たちです。

もうすでに亡くなっているので知らない方も多いかもしれませんが、文久元年には素晴らしい画家がたくさん誕生しました。

◇サンティアゴ・ルシニョール、画家
◇ファンニ・ブラーテ、画家
◇ラグーザ玉、画家
◇フィリップ・バーン=ジョーンズ、画家
◇アンリ・プリヴァ=リヴモン、画家
◇武内桂舟、挿絵画家
◇アリスティド・マイヨール、彫刻家・画家




文久元年に死去した画家

◇ タラス・シェフチェンコ、詩人・画家
◇歌川国芳、浮世絵師
◇ ヴィルヘルム・ヘンゼル、画家

文久元年。どんな時代だったの?

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黒船来航から10年近くが経ち、日本はアメリカやヨーロッパ諸国などの世界の大国との貿易を行う様になっていました。

そんな世界と日本の繋がりが強くなっていった最中、幕末の志士と例えられる人々が日本各地で動き始めます。

かの坂本龍馬は潜伏しながら九州から江戸へと赴き千葉道場に下宿し、島津久光によって西郷隆盛は島流しにされ、近藤勇や芹沢鴨らが新選組を、高杉晋作らが奇兵隊を編成するなど、幕末に活躍した様々な者達が、その江戸時代を終わらせる終着点へと向かって動いていたのが文久という時代だったのです。

人だけではありません。
文久という時代は、文化や技術の面でも次の時代へと向けて動き出していた時でもあります。

長崎では日本最初の近代工場とされる長崎製鉄所が建ち、横浜では競馬やビリヤードなどの外国の娯楽も流入しはじめ、福澤諭吉はヨーロッパへ向かいながら世界を見て回り、有名な小説家である森鴎外が生まれ、囲碁の世界で史上最強棋士と称される本因坊秀策が若くして亡くなっています。

この様に、文久という時代は、六年後に迫る「明治時代」という新しい時代に向け、日本の様々な物や人物が生まれ変わろうとしていた時代なのです。




文久元年は日本と世界の移り変わり

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日本で人や文化が移り変わり始めていた文久ですが、海を隔てて日本を取り巻く世界でも次の時代へと変わり始めていました。

アメリカでは南北戦争がはじまり、現在のアメリカ合衆国の誕生へ向けて人々が動いていました。
同じくヨーロッパでも、イタリアやドイツなどが国内の統一に向けて活動し始め、世界中のあちらこちらで現在の国や人々の集まりの元となった出来事が、文久の最中で起きていたのです。

もちろん、日本でも江戸幕府が終わりへと向かう変革が起きています。島津久光や朝廷の働きかけにより「文久の改革」が行われたのです。

改革とは言っても、この改革は徳川幕府の権勢の失墜を表すかの様な内容であったため、黒船来航から始まったと言われる徳川幕府の衰退を促進させる形となり、後の明治維新へと繋がる流れを産んだと言われています。

元号が政治的な変革を防ぐために文久に改元されたと言いましたが、その改元が虚しくも意味をなさずに文久の最中に政治的な変革が起きてしまったのです。




文久元年付近の出来事

文久元年の1年後【生麦事件】

1862年8月、生麦村で島津久光の行列を乱したイギリス人を薩摩藩士が殺傷した事件。

イギリスは犯人引き渡しと賠償金を要求し、幕府は償金を支払ったが薩摩藩は拒否し、薩英戦争の原因となった事件です。

文久元年の2年後【薩英戦争】

1863年7月、生麦事件報復のため、イギリス東洋艦隊と薩摩藩で行われた戦争。
同年11月横浜で和議が成立しました。

そんなに昔の事では無い文久元年

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文久は江戸時代の元号なので大昔の事と感じますが、こうして見ると、西暦では1860年代と約150年前程度ですし、平成から数えても6つ前の元号です。

場所によっては大陸横断鉄道や地下鉄が通り、写真技術も世界中に普及し始めていた時代でもあるので、調べてみると簡単に当時の有名な人物や場所などの写真を見る事が出来ます。

1970年代頃までは江戸時代生まれの人が生きていましたし、もしかしたら、お爺さんやお婆さんに尋ねてみれば、曾御爺さんや曾御婆さん達から聞いた当時の事を話してくれるかもしれませんね。

ちなみに最初に紹介した北川半兵衛ですが、京都の祇園に祇園北川半兵衛
という和カフェがあります。ぜひ行ってみてください!





祇園北川半兵衛

OPEN 11:00~22:00 / 不定休(18:00~は夜カフェ営業)

TEL:075-205-0880

京都府京都市東山区祇園町南側570-188

京阪電車「祇園四条駅」から徒歩約6分 / 祇園四条駅から426m

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