朝日焼ってどんな陶器?朝日焼の歴史

京都北川半兵衛カフェで使われている朝日焼

お茶の都、京都の宇治市。
そこは「朝日焼」という、茶器として重宝されてきた陶器を焼く窯がある地でもあります。
朝日焼は、落ち着いた柔らかな色合いの素地が特徴で、主張しすぎず、日常のどんな茶の席でも合う器として使える陶器です。

今回は、そのその朝日焼の特徴と歴史を紐解いていきましょう。

朝日焼の誕生

時を遡る事、四百年前。安土桃山時代。
織田信長や豊臣秀吉が活躍した時代は、それらの戦国大名を通し、お茶が一種のステータスシンボルになった時代でもありました。
千利休しかり、石田三成しかり、この時代で名の挙がる人物達の間では、お茶に関するキーワードが多々出てきます。

そんな茶が飛躍を遂げた時代に、朝日焼の開祖である奥村次郎衛門藤作が、茶の本場でもある宇治の地で窯を開き、焼物を作り始めました。
その焼き上げられた器を見た豊臣秀吉はたいそう気に入り、藤作を褒め上げ、それを受けた奥村次郎衛門藤作は「陶作」と名を改め、その名前が代々受け継がれる様になったそうです。

その後、二代目陶作の時には、日本の芸術と茶道で名高い小堀遠州と共に多くの名器を焼き上げ、三代目陶作の頃になると、大衆にまでお茶が浸透した事も有り、宇治茶の隆盛と共に朝日焼も発展し、江戸時代になると小堀遠州との縁もあり「遠州七窯」の一つと称えられるようになりました。
その縁が元となり、窯元の場所が宇治の朝日山の麓にあったので、それを由来に小堀遠州に朝日の二文字を与えられて朝日焼きと言う銘になったそうです。

朝日焼の特徴

朝日焼の特徴の一つに、昔ながらの宇治の良質な土を使って作られる陶器と、中国の青磁の技術を取り込み作り上げた磁器の二種類の焼物を作っている事が挙げられます。
この青磁技術の取り込みは朝日焼の用途に幅を持たせる事に繋がり、格式ある茶道の場で使う茶道具から、日頃の日常で飲むお茶の器まで、お茶に接する様々な場面で活躍できる物を生み出す事になりました。

そして、もう一つの特徴は「ろくろ」の技術へのこだわりです。
ろくろの技術の継承は、現在の16代目まで連綿と受け継がれ、その技術により生み出される造形の美しさと、落ち着きを持った陶器に華やかさの磁器の色合いの豊富さとが、今日に至るまで朝日焼が愛される器として重宝される要因となったのだと思います。

惜しむらくは、一つ一つ手作りで使っているので、大量生産をするという訳にはいかないという点でしょうか。
ですが、その姿勢こそが、今までも、そしてこれからも、朝日焼を日本を代表する焼物の一つとして受け継がれていく結果を生み出し続ける事になるでしょう。