元禄年間とは?意味や西暦、どんな時代だったの?

元禄年間イメージ

「元禄年間」という言葉は、あまり広く知られてはいませんが、そこには深い歴史や改革が存在します。

そんな元禄年間の意味や西暦、時代の特徴をご紹介します。



そもそも元禄年間って?

「元禄年間」と聞いても、「何それ?」と感じてしまう人が多いのではないでしょうか。
元禄年間とは、江戸時代中期の、東山天皇の時代の年号を指しています。

西暦にすると、1688年から1704年頃。
現代から遡ると、約300年前の時代です。
また、「元禄年間」という言葉は、「元禄袖」や「元禄年間と」を略したものだと言われています。
さらに簡略化され、現在では「元禄時代」と表現される事がほとんどです。

学問・芸術・文芸が大きく発展した

元禄時代では、商品作物の生産性や、産業が大きく発展しました。
そのため、学問や芸術、文芸の発展にも著しく影響を与え、すぐれた作品が多く生み出されました。
その様々な文化の発展により、元禄時代から人々の生活は大きく変化していきます。
元禄時代は、一言で表すと「新しい世界観を切り開いた重要な時代」だと言えます。

現実的かつ合理的な思考であった

元禄時代には、「憂き世から浮世へ」という言葉がありました。
現世を浮世として受け入れる、現実的かつ合理的な思考が主流だったのです。
かの有名な小説の井原西鶴や松尾芭蕉も、当時は現実的な日本文学を打ち出しています。
さらに、実用的な学問の発達や古典研究も盛んに行われた時代でした。



生活物資や身なりが華やかであった

新しい世界観を切り開いた元禄時代は、その様々な文化の発展により、非常に華やかな時代でした。
道行く人々の身なり、つまり衣服も華やかな物が多くなり、市場や店頭は派手に賑わいを見せました。
その傾向は、特に都市に強く見られました。
そんな華美な服装や多彩な文化の発展は、元禄時代そのものを象徴しています。

「生死」に対する改革

この時代、将軍徳川網好が「生類憐みの令」や「服忌令(親類の死の際、喪に服す期間を定めた法)」を発布しました。
そして、この生類憐みの令の発布以来、それまで蔓延していた「犬食い」は社会からすっかり姿を消します。
また、服忌令の発布により、それまで貴族社会にあった「死=戯れ」という観念が、庶民階級にも広がっていくきっかけとなりました。
これらがきっかけとなり、人々の「生死」に関する価値観は大きく変わっていったのです。

「食」に関する改革

元禄時代は、現代の主流である「一日三食」の文化が広がるきっかけとなった時代です。
その理由には、照明の製造技術の発展による、飲食店の経営の長期化が大きく関係しています。
また、この時代から料理店や茶店も多く現れるようになり、人々の食事の場は少しずつ多様化していきました。

当時の庶民階級の食事はというと、雑穀を主食に、塩味または醤油味の野菜が一から二菜添えられたものでした。
そして、この頃都市では白米が普及され始め、庶民にとっても徐々に主食となり始めます。

さらに製造技術も進んでいき、元禄文化は人々と食の関係に非常に大きな改革をもたらした時代でした。